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世界遺産への登録を目指している「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」
南島原市の構成資産である日野江城跡原城跡のガイダンス施設
「有馬キリシタン遺産記念館」が2014年4月に開館しました。
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日野江城跡、原城跡はどちらも島原半島一帯をおさめていた有馬氏が築いた城

13代領主・有馬晴信はわずか4歳で家督を継ぎ、南蛮貿易によって領土をまもるため、
イエズス会巡察使ヴァリニャーノが口之津に降り立ってから翌年に洗礼を受けて、
布教を許可しました。
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晴信は仏教寺院の破壊を命じ、日野江城の発掘調査では
破壊された仏塔が使われたと見られる階段遺構が発見されました。

また、日野江城から出土した金箔瓦は、豊臣秀吉が親族か身近な大名にしか
使用を許していない鳥伏間とよばれる瓦で、豊臣秀吉との関係を示す重要な出土品です。
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そして、有馬には修道者を育成するための、日本最初の本格的な西洋式学校
「セミナリヨ」が誕生し、西洋音楽やラテン語などを学んだ4人の少年が
「天正遣欧少年使節」としてヨーロッパへ渡りました。

少年達は印刷技術や西洋音楽などの技術を習得し帰国しましたが、
旅をしていた8年半の間に、日本は禁教下となり、
帰国後の4人の人生は波乱に満ちたものとなりました。
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有馬晴信終焉の地、山梨県大和村の栖雲寺に納められている菩薩像の掛け軸
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胸には十字架が描かれ、よく見ると肩膝の4ヶ所に少年らしき小さな絵が描かれ、
これは「天正遣欧少年使節」を描いた可能性もあると言われています。

そして原城は、キリシタンを中心に島原・天草の領民が蜂起した「島原・天草の乱」の
舞台であり一揆軍が篭城していた場所

3ヶ月の兵糧攻めの後、総攻撃され陥落した原城は、城や石垣を二度と使えないように
取り壊され、破壊された石垣は遺体とともに徹底して埋め尽くされ、約350年もの間、
発掘調査で明らかになるまで封印されました。
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原城からは鉛の弾を溶かしてつくった十字架が多く出土しています。
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日野江城、原城の現地へ行かれる前に、貴重な資料や歴史的背景を学んでおくと、
南島原のキリシタンの歴史がよりわかりますので、ぜひお立ちよりください。

南島原市有馬キリシタン遺産記念館
住所:南島原市南有馬町乙1395番地
電話番号:0957-85-3217
開館時間:9:00~18:00
定休日:木曜、年末年始
入館料:無料

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